VOL.2
利休生誕500年の今年
(デトロイト美術館寄稿)
2022/2/26
1522年利休は大阪堺の魚問屋に生まれる。
16歳で茶の道に入り、18歳で当時茶の湯の第一人者の武野紹鴎の門を叩く。
紹鴎は佗茶の祖村田珠光を心の師として、「不足の美」(不完全だから美しい)である禅思想を茶の湯に取り入れ簡素化に努めた。
その教えを受け継いだ利休はさらに「侘び」を極め「これ以上何も削れない」極限まで無駄を削って緊張感を生み出し侘び茶を大成させました。
利休が行った最大の功績は、「美意識の変革」です。
当時中国や朝鮮から輸入された唐物が道具の主流であった茶会に、長次郎に焼かせた樂茶碗や禅の精神性を現した水墨画などを選んで茶会を行うようになり、美の価値観を変えてしまいました。
これは道具だけではなく、茶室空間においても二畳の究極茶室「待庵」を造りあげております。
当時の権力者である織田信長や豊臣秀吉も茶の湯に夢中となり名物道具を集め、茶会を催しては、一国一城の戦国武将たちを操ってきました。
茶の湯には侘びの禅思想と同時に、茶室で繰り広げられる親密な交渉の場としての側面もありました。

今年2022年は、利休生誕500年。いま我々は利休から何を学ぶのか?

コロナで世界の状況は大きく変わりました。我々の生活も180°変わってきました。
毎日オフィスへ出勤する日々から、自宅でのテレワークとなり、人と会う事も少なくなってきました。 自分を見つめる時間が増えてなかで、禅思想の茶の湯が大きな役割を担ってくるのではないでしょうか?
美意識の共有、禅の精神性、交流交渉の場としての茶室がこれから価値を持ってくることと思います。
「温故知新」・「不易流行」の精神こそ今必要です。
利休生誕500年の今、我々は利休から多くを学び、さらなる500年に何をなすべきか?伝統は常に革新的な変革がなければ滅びることとなります。
そんな思いから、利休の禅精神である茶の湯を通して日本文化を世界に発信したいと、スーツケース茶室「ZEN-An禅庵」は、2017年に誕生しました。伝統的な匠の技と茶の湯の精神性をスーツケースの中に詰めて世界中持ち歩けるようにしました。
デトロイト美術館の日本ギャラリーオープニングをはじめ、国連本部の「Peace is・・・」イベント、Parisエッフェル塔での茶会、その後世界中を廻っております。
禅庵サイト
今後は、オフィスや自宅で気軽に茶の湯を楽しみに日本文化である禅精神に触れていただけるように多くの茶室が世界中に増えて、利休の精神が伝わって行くことを望んでおります。
渋沢栄一の茶室「無心庵」の再興プロジェクト
昨年、次世代への継承として渋沢栄一の茶室「無心庵」の再興プロジェクトを立ち上げました。これは明治の時代に500社もの会社を作って日本の基礎を築いた起業家渋沢栄一の精神を次世代へ繋げるための茶室「無心庵」を再興します。
茶室「無心庵」をサロンとして活用して、次世代を担う世界中の若者と日本文化を通して一人ひとりが心で繋がる場「茶室」の提供です。
無心庵再興サイト
「茶室」は単なる空間ではありません。「一期一会」の人の心が繋がる空間です!
茶室建築家 椿邦司


イタリア半島のつま先部分のコパネッロ岬。
ここで、農薬や肥料を一切使わず自然のままにオリーブを育てる農園を、ガッティ家の皆さんが運営されています。この希少なガッティ家の早摘みオリーブを低温で搾った、希少なオリーブオイルをご紹介しています。

千葉県北部から茨木県南部にかけて、霞ケ浦と利根川の豊富な水の恵みを古来よりうける「北総」地域。
江戸時代から米作りが盛んな地域で、古くは利根川経由で江戸にお米を供給しています。
この地域の休耕田を再開墾し、美味しいお米・水田の再生に取り組んでいます。

北総地域で育つ美味しいお米は、地域に多くの富をもたらしました。地域の米作農家の家屋は、建築視点からも非常に高い価値があります。
残念ながら、北総地域も人口流出・高齢化が進み、結果これらの価値の高い建築物も荒廃が進んでいます。
建築家としての知見・ノウハウでこれらの古民家を再生し、宿泊施設として提供しています。
椿邦司のサイドプロジェクト
SIDE PROJECT