
渋沢栄一翁「無心庵」再興プロジェクト
王子飛鳥山の「茶室」を再び
渋沢栄一翁が後半生に居住した飛鳥山でもてなしの場として重用した茶室「無心庵」跡。現在は、樹々に囲まれた草地に、飛び石や手水鉢などが遺る。
私心無き渋沢栄一の
精神を次世代につなぐ
近代日本経済の父と言われる渋沢栄一は、東京都北区王子にある飛鳥山で、その後半⽣を過ごしました。
渋沢邸住居など主要部分は、ほぼ戦災で焼失し、現在は⻘淵⽂庫・晩⾹盧だけがその姿を留めています。
その庭園の⼀⾓に茶室「無⼼庵」がありました。
この茶室は渋沢翁が、徳川慶喜公と伊藤博⽂、井上馨などが会する茶会を催し、慶喜公復権のきっかけとした逸話を残します。
この日本史にも残る重要な史跡である「無心庵」を再興し、渋沢栄一の精神を次世代につなぐ一大プロジェクトが、動き出します。



無心庵とは
Mushin-An
王子飛鳥山の渋沢邸(曖依村荘)の庭園の中にあった茶室「無心庵」。
設計は茶人としても有名な益田孝の弟・克徳と柏木貨一郎と言われています。京都裏千家の茶室などを参考にして建てられました。
曖依村荘は民間外交の場として活用され、中でも茶室無心庵では膝をつき合わせた茶会が度々催されました。
広間から続く邀月台(月見台)からは遠く筑波山の雄姿を望むこともできたと言われます。
こうした静かなたたずまいも、1945年4月13日の空襲で焼失してしまいました。
茶庭の飛び石や縁先の手水鉢は今もこの場所に残る。
無心庵
再興プロジェクト
Mushin-An

今に残る数少ない無心庵の資料から推測し、茶室の図面が引かれはじめました。
当時の姿を再現するだけでなく、今の時代と渋沢翁の無私の精神を「と」の力でつなぎ、次代へつなげることができる場として再興計画を進めて参ります。




無心庵跡に設置された禅庵
無心庵と禅庵
Mushin-An
国内外の賓客をもてなし交流の場であった無心庵。
スーツケースに茶室を詰めて世界を旅している禅庵。
真逆な世界観を「論語とそろばん」の「と」の力でつなぎます。
プロジェクトのスタートは無心庵跡においての禅庵茶会。
風が樹をゆらす音と茶を点てる音だけが静かに聞こえてくる-
戦災で焼失してから76年のあいだ地中にひそんでいた、私心無き渋沢栄一の精神が、時空を超えてあらわれたかのように不思議な時間が流れ始めました。
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